水木しげる

目次

家族・親族

  • 実家
  • 曾祖父・武良惣平(廻船問屋、 政治家

武良惣平商店という 廻船問屋を営み、一時は大層な羽振りをきかせていたが、 鉄道便の発達で 明治になると家業は衰えた。惣平は 境町会議員を1期務めた。

  • 祖父・武良辰司(実業家) 『完全版 水木しげる伝(上)』 104-107、201-203頁

祖父・辰司は、家業の回船 問屋をやめて、 大阪で「関自動車」という タクシー会社を経営した。また、バタビヤ(現・ ジャカルタ)に渡り 印刷会社を興して成功したという。

鳥取県 米子市東倉吉町にある水木の 祖母の生家・住田家の保存活用の話が進められている。住田家は 江戸時代から続く商家( 呉服商)で、米子町(現・米子市)4代目 町長を務めた善平の長女さいが水木の 祖父に嫁いだ。

  • 父・武良亮一(会社員、銀行員等)

胃が丈夫なことから、水木は父親に「イトツ」(突出して胃が丈夫)とあだ名をつけていた 『完全版 水木しげる伝(上)』 52-54頁 -。父・亮一は 早稲田大学を出ると、当時の金で5000円という大金をもらい商売するが、失敗して大阪の会社に勤めた。しかし勤務時間中に 映画を見ていたのが社長にばれて クビになった。 境町に戻り今度は 銀行に勤めた。ある時、銀行強盗が横行したことがあり、当直だった亮一は明け方まで粘ったが、恐怖に耐え切れずついに当直を放棄して家に帰ってしまった。このため銀行をクビになったが「なんとかなる主義」という奇妙な主義を信じていたため全く平気だったという。なお『ねぼけ人生<新装版>』16頁には“銀行強盗”となっているが、『水木サンの幸福論 ― 妖怪漫画家の回想―』34頁には“脱獄囚”と記されている。 武良布枝の著書『ゲゲゲの女房』によると、水木が漫画で成功し、上京して一緒に暮らすようになってからは、好きな映画や歌舞伎を観るなどして、幸せに暮らしていたという。死の際は「 境港に葬ってくれ」と遺言があり、武良家代々の菩提寺に納めた。そのため水木はその後、境港をしばしば訪れるようになり、「 水木しげるロード」誕生につながったという。

  • 母・琴江

すぐ怒ることから、水木は母親に「イカル」とあだ名をつけていた 『完全版 水木しげる伝(上)』 250-251頁。。母・琴江は 江戸時代苗字帯刀を許された米子の 旧家に生まれ、その 家柄を誇りとしていたという。『ねぼけ人生<新装版>』15頁には「母の実家というのが三島という 米子市旧家で、 元禄時代から今日までの がずらりと並んでいるほどなのだが、これも先代でボツラクしている。この先代という人は風流人なのはいいが、 俳句だの書画だのをひねくるばかりで、仕事というものを全くしなかった。」とある。『 グレートマザー物語』によると、琴江はしげるが左腕を失ったことを知ると自らの左腕を縛り、一時期右腕だけで生活していたという。武良布枝の著書『ゲゲゲの女房』によると、戦争中に、近所でバケツ・リレーの練習をしていても「負け戦とわかっているのに無駄だ」と参加しなかったという。また、水木が東京で貸本漫画家をしている時は、非常に心配し、「漫画がダメなら灯台守になれ」と薦めた。また、しばしば、心配する長文の手紙を送ったという。返事が来ないと、さらに心配して長文の手紙がくるため、水木は母親から手紙が来ると即「元気だ」という返事を書いた。また、「貧乏している」ことが母にばれないよう、 軍人恩給を実家に送っていたという。また、水木が漫画家として成功して両親を呼び寄せた後は、漫画のストーリーにしばしば口を出し、『鬼太郎』に シーサーが登場するようになったのは、母親の強い薦めがあったためだという。

  • 兄・宗平

兄の娘夫婦( 境港の水木プロ中国支部担当)

長女(貸本版『墓場鬼太郎』の、「水木しげる」の娘・花子のモデル。また、鬼太郎の赤ん坊時代を描く際のモデルにもしている)
次女・ 悦子(水木プロ社員、著書『お父ちゃんと私―父・水木しげるとのゲゲゲな日常』)

  • 他家

大叔父・寅二郎は米子で初めて 東大を出たとされる。なお寅二郎には出世欲がなく 米子パンを売って一生を終えたとのことである。元米子市長 野坂寛治の著書『米子界隈』183頁に「第四代 町長住田善平氏は住田呉服店の御主人で、その令息 法学士住田寅次郎氏は町会議員として、いかなる意味でも英名を四方にはせ、晩年は酒豪としての逸話が山積する。後には転じて製 パンを志され世上これを“ 学士 パン”と呼んだ。学士学士と書いたが、現代の諸君は“アァ学士か”とそこらに落ちている小石のように思うであろうが、 明治35、6年ごろの学士さんはトテモドエライもので住田寅次郎氏が法科を、筆者の叔父貴野坂康二が工科を、共に 東大を卒えて帰還した年の夏、渡辺 町長その他お歴々の発起によって公会堂で歓迎会を開いて頂いている。それが米子で二人も出来たのだからというのですぞ。驚き桃の木サンショの木である。」とある。寅二郎の弟に フランスで客死した絵描きの良造と武良家に居候していた延寿がいる。延寿は赤 鉛筆片手に 英語の原書ばかり読んでいたが、結局定職に就かずに遊んで暮らしたという。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』