桑田佳祐

目次

音楽活動


ここではソロ活動を中心に記す。 サザンオールスターズなどバンドとしての活動は各ページを参照のこと。

バンド活動と並行したり休業しつつ、ソロ活動を行っているが、活動期によりテーマやコンセプトを大きく異なることで、サザンオールスターズとしての活動とは特に一線を画している。

1986年KUWATA BAND結成時には、桑田が「 ロックを唄うのは 英語しかない」と考えが行き着いた頃で、英語詞の 洋楽テイストにこだわっていたこともある。その結果、KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切収録せず、全曲新曲の全英語詞アルバムになった。しかし発売後しばらくは、自身も完成度に満足していない旨の発言が目立っていた。その後、考え方に変化が見られたのか、現在ではソロ名義のコンサートでKUWATA BANDの楽曲(シングル曲のみ)が演奏されることも多くなっている。

1987年- 88年の第1期ソロ活動では、前年のKUWATA BANDの方向性とはうって変わって、 ミュージックシーケンサー プログラミング打ち込み中心の ポップス路線を展開した。 小林武史との共同作業によって築かれたこの方向性は、後年のサザンでの活動にも影響を与えた。また、 ダリル・ホール&ジョン・オーツとの共演も話題となった。

1993年- 94年の第2期ソロ活動は、それまでの活動とはさらに異なり、期間中に母親が亡くなったことの影響による内省的な世界観や、辛辣な風刺を前面に押し出した歌詞は、サザンでの活動とはかけ離れた、ソロならではの方向性を打ち出した。サウンド面でも、 小倉博和との共同作業による、楽器本来の音に着目した アコースティックアンプラグド)・ フォーク路線を展開した。

2001年- 2002年の第3期ソロ活動は、前半と後半でさらに方向性が異なった。前半の2001年は、サザンとの差別化にはこだわらなくなった。この時はサザンでのメンバー脱退による移行があったため、もともとサザン名義で発表する予定だった楽曲を、ソロ名義で発売したものもある。また、逆にソロワークとして製作していた楽曲を、のちにサザンとしてカラーやアレンジを加えて発表した曲も生まれている( 恋するレスポールなど)。後半の 2002年は、 斎藤誠らサポートメンバーで結成されたTHE BALDING COMPANYとの共同作業による、バンド形態の本格派ロック路線を展開した。ここでもサザンでの活動との差が色濃く出ている。 CM タイアップとの関係で、思い切りポップ寄りな曲に挑戦した2001年に対し、2002年に発売された作品は、シングル・アルバムともに歴然とテーマの違いが出ている。2001年に発表された楽曲はアルバムに収録されることなく、ソロ活動の集大成として発表された ベストアルバムに収録された。

2007年の第4期ソロ活動は、楽曲的にはサザンとの差別化は特に図られていない。この4期目のソロ活動について桑田は、ラジオ番組や音楽雑誌インタビューなどの各メディアにおいて、『来年のサザン30周年に向けての足懸かりとしての期間』という旨のコメントをしている。なお、この時期のソロ活動でオリジナルアルバムは発表されていない。

2008年 3月23日に、 沖縄県石垣島で行われた桑田の特別ライブ「 Meet the Music 2008! 全国民放FM53局&KDDI present 桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島」の模様が日本全国の 民放 FM53局( JFN系列38局、 JFL系列5局、系列4局および 独立局6局)で同時生中継された。これは、全国の民放FMラジオ全局で構成する「 全国FM連合」がの特別協賛によるキャンペーンの一環として、 TOKYO FMが幹事局となって製作。系列の異なるFMラジオ局が、ネットワークの垣根を越えて1人のアーティストのライブ中継を放送するのは、史上初の試みである。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』