人物
サザンオールスターズのリード・オフ・マンとして知られている。『 いとしのエリー』、『 真夏の果実』、『』などの名曲を数多く作り、歌う。
作詞では 愛、 セックス、世相を風刺的に表現し、時に エロティックであり、時に ユーモラス・ナンセンスであり、時に切なく泣かせ、時にシリアス。楽曲それぞれで様々なタイプの 歌詞を書く。
作曲に関しても日本屈指のメロディメーカーとして知られており、洋楽の音楽性を日本のロックミュージックに適用させた楽曲は非常に高く評価されている。楽曲もロック調の強いものからバラードに至るまで幅広く、コンピューターなどを使った最先端の技術も取り入れながら多様な楽曲を提供してきた。ソロでの音楽活動も精力的で、 メジャー デビュー以来一貫して 邦楽()の第一線を走り続ける。 音楽雑誌『 ロッキング・オン』からは、 ポップスの 神なる称号を授与されている。また、日本の数々のミュージシャンに影響を与えており、本人が「桑田さん(サザン)のファンです」「影響を受けています」など公言したミュージシャンも多数にわたる。
青山学院大学在学中より バンド活動を盛んに行いバンド名の変更とメンバーチェンジを繰り返した後、サザンオールスターズとしてデビュー。これが現在まで続く。「サザンオールスターズ」というバンド名は友人がつけたもの。
1987年のソロ活動開始以降、サザンとソロ、それぞれの活動を数年毎の ローテーションで行い、どちらとも セールス・ ビジネス的にも成功を維持し続けることができる稀有なミュージシャンである。
1990年には映画「 稲村ジェーン 」の 監督を務め、興行的成功を収めている。
生い立ち
1956年 2月26日、
神奈川県 茅ヶ崎市に生まれる。
父親が茅ヶ崎で映画館を経営していたため、幼少時より映画を大量に見ていた。さらにTVで見た「 シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)の都会的な笑いのセンスが、自身の曲づくりの原点になっているという。
また、桑田が音楽に興味を持ったのは、姉・えり子の影響が大きい(姉の 岩本えり子は後年、いくつかサザン、桑田ソロの曲で英語補作詞として参加している。桑田によると、作詞に行き詰ったときに電話で相談し、参考にしていたとのこと)。学生時代は姉が集めていた ビートルズ等のレコードを聴き入っていた。当時レコードは高価なものであったが、家にはビートルズのレコードがすべてあったという。高校3年でエレキ・ギターを買ってもらい、本格的に音楽に目覚めた。
- 石黒ケイは親戚で近所に住んでいた。
- 中学生から高校生にかけ、今は無きパシフィックホテル 茅ヶ崎の ボウリング場でジュニアボウラーとして鳴らしていた。アベレージは200以上あり、クイズ番組「 カルトQ」でも問題として出題された、アマチュアのボウリング大会に出た時の公式記録は297(10フレーム目の3投目だけは7本倒し、それまでの11投は全てストライク)との事。 昭和40年代、大ブームだったプロボウラーを目指してもいたという。
当時ジュニアボウラーはあまり多くなく、パシフィックボウル茅ヶ崎で一緒にしのぎを削っていたのが、同い年で友人の 文化放送アナウンサー 扇一平である。その 扇一平の娘現在ロックシンガーソングライターの 扇愛奈は桑田の長男と友達で、高校時代バンドを組んでかなりの人気があった。
また桑田について中・高校時代の友人達は、後にワイドショーのインタビューに応じ「桑田は昔、歌手じゃなくてプロボウラーになりたがっていた」と語っている。
青山学院時代~メジャーデビュー
高校は地元の
神奈川県立茅ヶ崎高等学校に行く予定だったが、不合格。滑り止めで受験した
鎌倉学園高等学校に通うことに。在学中は英語のみ成績が良く、ほとんど受験勉強をしなかったにもかかわらず、
明治学院大学と青山学院大学に合格し、青山学院を選択する。大学の音楽
サークル“
Better Days”(ベター・デイズ)に所属し、本格的にバンド活動を開始。「
温泉 あんま ももひきバンド」「
脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など頻繁にバンド名の変更やメンバーチェンジを繰り返していた
[『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 改訂版』TOKYO FM 出版、2005年。]が、1976年頃から自身のバンドに“
サザンオールスターズ”の名を使用。これが定着し、またメンバーも固定されるようになる。
1978年 6月25日、
ビクター音楽産業よりサザンオールスターズとして『
勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。ちなみに大学は一度留年した後に、学費滞納により4年在学したのち
1978年に除籍になったとのこと(サザンのメンバーで青学に在学していた桑田・大森・関口・原のうち、卒業できたのは関口と原の2人だけである)。
- 20代であるにも関わらず、合宿先などで ステテコ・ももひき・サングラスといういでたちであったために、サークル仲間に30代だと言われていた。最も初期に付けられていたバンド名「温泉 あんまももひきバンド」は、この時の桑田の風貌から来ている。
- サザンのメンバーで後に妻となる原由子とは「Better Days」で知り合う。当初桑田は原の友達の女の子が目当てで原に近づいていたため、原のことは容姿を嘆いたり散々な軽口を叩いていたが、 エリック・クラプトンなどの洋楽の好みで気が付けば意気投合、デビューまでの間に完全に付き合っており、サザンのメンバーやサークル仲間の間でも公認の仲であったという。詳細は原の著書『娘心にブルースを』で語られている。
- デビュー当時はコミックバンド扱いされていたこともあり、桑田も本意では無いものの芸人的な立ち振る舞いで、特に 長門裕之に顔が似ていることを売りにしていた。また、 三遊亭圓生、 稲川淳二、 大橋巨泉などの物真似も披露しており、現在でも度々ネタにしている。
- デビュー当時サザンは、本人達にとっては強制的な形で『 8時だョ!全員集合』『 元祖どっきりカメラ』などの バラエティ番組にも度々出演し、 コントやモノマネなどの芸をしていた。ちょうどその頃、 ザ・ドリフターズのリーダー いかりや長介が、ドリフ脱退を希望していた 高木ブーに代わる新しい人材を探していたところで、 TBSプロデューサー 居作昌果を通して、桑田にドリフ加入を打診していたという。桑田はいかりやとは会うだけ会ったが、具体的なやり取りについては明かされていない。
パフォーマンス
歌唱法
独特の歌唱法は、日本人からは高校時代より大ファンだった
前川清からきており、また洋楽では
ボブ・ディラン等の影響を受け、学生時代は声質をより近付けるため、
ウォッカで喉をうがいし、自宅の部屋にこもって枕に顔を押し付けて大声を出し続ける等などの荒行も行っていたという。その結果、1982年頃までの楽曲にしゃがれ声が際立っている作品が多い。しかし、声帯への悪影響も強く、声が出なくなって出血することもあった。その後は声帯を酷使する極端な歌唱を控えるようになり、しゃがれ声が際立った曲は一部に留まっている。作品の発表時期によって歌声が異なって聴こえるのはこの為である。
またサザンオールスターズは、テレビの 歌番組における歌詞の 字幕スーパー( テロップ)が流される端緒を作ったとされる。これは桑田の早口の歌い方に視聴者が「歌詞が判らない」と苦情を寄せたため、テレビ局が桑田の歌い方に対応するために歌番組でのテロップ表示を行ったとのことである。
プレイヤーとして
レコーディングなどでは
ギターを担当することがほとんどだが、時に
ベース、
ドラムス、
キーボードなども演奏する
マルチプレイヤーでもある。特に、ソロ名義の『素敵な未来を見て欲しい』や『MUSIC TIGER』などは、桑田1人ですべての
楽器が演奏されている。
ギタリストとしてクローズアップされることは比較的少ないが、ボトルネックによる スライドギターのプレイヤーとしても知られ、サザンの ライブでも曲の間奏で、度々その姿を確認することができる。 KUWATA BANDのライブでもギター演奏を披露した。しかし、本人によると「 コードとかはよくわからない」という。
ライブパフォーマンス
1980年代から
1990年代前期まで、ライブや音楽番組などでは時にステージに寝転がったり飛び跳ねたりの激しい
パフォーマンスが特徴であった。MCや曲中の煽りなども、所謂「縦ノリ」の男臭いロックミュージシャンらしい姿が見られていたが、近年では激しい動きは少なくなった反面、ギターのソロプレイを魅せる割合が多くなり、加齢と共に味わい深いギターを聴かせている。かつてはライブ終盤での客席への
紙コップ(エスカレートした場合は消防用のホースでの放水)の水撒きも定番であった。これは2005年『ミュージックステーション』出演の際に「花火や火薬等は制限があるが、水は制限は無い。これ以上スケールの大きいものは水しかない考えられない」と桑田は語っている。
ライブや 音楽番組では、高い頻度で歌詞を間違える。ライブで歌詞や段取りをよく間違えることは本人も自覚しているらしく、「間違えた時は スタッフを睨みつけてスタッフのせいにする」と自らコメントしていたが、視聴者向けの ネタなのか本音なのかは不明。
曲作り
曲作りはほとんどが曲先(作曲された曲に詞を当てはめる)である。デタラメ
英語などの仮歌段階のまま、編曲までほぼすべてを終わらせたのち、仮歌の語感を崩さない言葉を選んで、そこから歌詞全体のテーマ・世界観を決める。そのため、
日本語・
英語ともに文法的には間違っている歌詞も多々あり、間違いを指摘されたり「意味が分からない」等と批判される事がしばしばある。これは文章の正確さよりも、
語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果であり、そのためには
古文・
方言・
都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語を自分で作ってしまうこともある。
作詞の際には、作品中やタイトルに人名を登場させることも多い。特定の人物を讃えた曲もあるが、名前のみを身近な人物または縁の人物の中などから、歌詞全体とメロディに合う語感として引用し、特定の人物は指していない場合が多い。前者は『 吉田拓郎の唄』『 星空のビリー・ホリデイ』『 Dear John』『 唐人物語』など。後者は『 いとしのエリー』『 チャコの海岸物語』『 そんなヒロシに騙されて』『 MARIKO』『 シュラバ★ラ★バンバ』『 可愛いミーナ』ほか多数の曲で使われている。
また、英語と日本語との ダブル・ミーニングを取り入れ、日本語の中でも 縁語、 掛詞など 和歌の伝統的な 修辞技法がよく見られる。楽曲は歌詞カードも含めての作品なので、歌詞カードもじっくり読んで欲しいとの思いも込められている。
サザンとソロ活動の両立
サザンとソロとの活動の違いが分かりづらいと指摘されることも多い。この疑問に対して桑田は、サザンのメンバーやサザンとしての活動は
家族・
家庭であり、ソロ時のサポートメンバーおよびソロとしての活動は
愛人と逢っているようなものと例え、サザンの楽曲やソロの楽曲はそれぞれの間で生まれた子供達だと表現をしている。また、
プロレスラーの
武藤敬司にも例え、サザンの時は素顔の武藤として戦い、ソロの時はペイントをして
グレート・ムタとして戦うとも表現している。
また、ソロ名義で出演するライブやフェスティバル、単独名義で行っている自身のラジオ番組のライブなどでは、サザン名義の楽曲も演奏されることがある。この点に関してファンからは「ソロのライブでサザンの曲を唄わないで欲しい」との意見もあったが、その意見に対して桑田は「ファンの気持ちも分かるんですけど、『唄ったっていいじゃん、どっちでもいいじゃん』て思う時も実はあるんですよね」とインタビューで応えている。ソロ名義で行うワンマンライブやツアーでは、基本的にサザン名義の楽曲が歌われることは少ない。1986年のKUWATA BANDのときは、ライブでサザンの曲を封印していたが、1988年のサザン復活ライブでは、途中に桑田ソロコーナーを設け、「 スキップ・ビート」も歌っていた。
交流関係
- 笑福亭鶴光のもとを 破門になった元 落語家、笑福亭笑光こと鳥飼達夫は1981年12月、桑田のソロ名義のライブ「嘉門雄三&Victor Wheels」のライブに前座として出演。翌1982年にはビクターの営業マンとしてビクター社員達と共に「 チャコの海岸物語」の宣伝活動に回りながら、サザンのライブの打ち上げにも毎回顔を出し、次第に桑田に気に入られる。そして鳥飼は「『嘉門』の姓を譲ってほしい」と桑田に頼み了解を得て、 嘉門達夫と名乗るようになる。その後も現在に至るまで、桑田は嘉門の替え歌を容認し続けるなどの仲である。
。
- ゆずが、まだ無名の頃に、ラジオ出演していた桑田に対して「桑田さんと路上ライブをやってみたい」といった趣旨の手紙を送ったところ、桑田は本当にゆずの路上ライブに出向き、桑田佳祐&ゆずという夢のセッションをしたことがある。
- サザンの大ファンとして知られる 平井堅は、学生時代は「NO-NAME(サザンのシングル『』の逆さ読み)」というコピーバンドを組んでおり、また、桑田の自宅の門の上に「 コーラスでいいので雇ってください」と、メッセージを添えたデモテープを置いて行った、という過去を持つ( ミュージックステーション出演時に発言)。このテープに関し桑田は「雇っておけばよかった」「つめが折ってなかったから、録っちゃった」と、冗談交じりに発言している。
2003年の「 FNS27時間テレビ〜みんなのうた」内の『 桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜サザンオールスターズスペシャル』では、桑田・原と共にサザンの『 栞のテーマ』をハモり、夢の共演を果たした。さらに、2ndシングル『片方ずつのイヤフォン』の歌詞には“Southern All Stars”が登場し、アルバム『 Ken's Bar』では KUWATA BANDの『 ONE DAY』、『 Ken's Bar II』では『 白い恋人達』をカバーしている。
人柄・エピソード
- 生まれも育ちも湘南であり、楽曲でも湘南のイメージが強いものの、桑田自身は湘南という呼称に否定的であり、自身が監督した映画『稲村ジェーン』に出てくる「地元の人間は湘南なんて誰も言わない」というセリフは桑田自身の言葉でもある。しかし、「勝手にシンドバッド」の歌詞には「いつになれば湘南 恋人に会えるの」というフレーズがある。 サーフィンも、中学生時代に友人の板を借りて数回やったことがある程度で、その時はまったく立てなかったという。青学時代は「バンドマンとサーファーは敵対関係」と考えていた。デビューしてからも長い間サーフィンには目もくれず、 泉谷しげるに 丘サーファーなどとネタにされることもあったが、1993年、37歳にしてサーフィンを始め、現在も続けている。
- 振り付け師 南流石の芸名の名付け親である。南は流石組を率いて、サザンの1988年のライブ「大復活祭」や、原の1991年のソロライブ「花咲く旅路」にも振付師・ダンサーとして出演し、原がライブでダンスを披露する際にも振り付けを担当した。
- プライベートでは良きマイホームパパとしても知られており、ラジオ番組では度々「息子とサーフィンをした」「ギターを教えた」などの話題を話している。特に2000年春、次男の小学校の卒業式に行った際、教室で卒業生の前で当時ヒット中の『TSUNAMI』を生ギターで唄い、この時の様子が雑誌「」に写真入りで掲載された。桑田が唄っている最中、原は教室の後方から桑田の姿をビデオカメラで撮影していたという。
- 度々髪型を変えたり髭を伸ばすこともあり、CDのジャケット毎にイメージが異なる。特に桑田が四十路を迎え、アルバム『 Young Love』リリースの 1996年頃はそれまでになかった程、髪を ロングヘア・ 茶髪にしてメディアに登場していた。本人は気に入っていたのだがファンからはおおむね不評で、抗議のファンレターまで届いたほどだという。翌年には元の短髪に戻していた。 1999年 秋- 冬頃には パーマもあてていたが、その期間も短く、1999年末の年越しライブ「晴れ着DEポン」の時にはすぐに戻していた。このパーマに失敗したらしく、『TSUNAMI』の大ヒットで特にメディア出演が多かったことゆえ、この時の髪型にはかなり後悔していた。
- ラジオなどで度々、クラプトンやレイ・チャールズをリスペクトする発言が目立つものの、本人に会ったことは一度も無いという(会えるチャンスは何度もあったとのこと)。これは「心底惚れたミュージシャンの普段の姿は見たくない」というファン心理からであるという。
- お笑いが好きで自身のラジオやライブ中の MCでは自分がその時気にいっている芸人のフレーズを多様する。
- 子供や動物を使って涙を誘おうとするようなテレビ番組、映画は嫌っている。
- プロレスファンで アントニオ猪木を敬愛している。猪木とは幾度か共演も果たしている。ライブの煽りでは スタン・ハンセンの決め台詞「ウィー!」や、猪木の決め台詞「1、2、3、ダー!」を叫ぶのが定番。 2007年、「」( アサヒ飲料)のCMで(合成映像の) ジャイアント馬場と“共演”した際に馬場から“十六文キック”を浴びせられた。
下ネタ好き
サザンが実力派バンドとして認知されてからも、本人は一貫して
下ネタ好きの三枚目な
キャラクターを通しており、ある意味
ミュージシャンらしくない気取らない性格が、ファンから愛されている。「経験 II」や「
ボディ・スペシャルII」「
マンピーのG★SPOT」等放送禁止用語を狙って作詞するケースも多い。特に、近年の
ライブでは、客席に向けての「ヤらせろ!!」や、「
乳首見せろ!」「
パンツ脱げ!」などの、
セクハラ発言は恒例で、テレビ番組に出演の際に
放送禁止用語を言ってしまうこともある。
- 『 THE 夢人島 Fes.2006』では、の 生放送にも関わらず、放送禁止用語を言ってしまった。
- 2008年9月24日に生放送された『 CDTVスペシャル!15周年プレミアライブ』にサザンオールスターズとして出演。同年8月に行われたライブ『大感謝祭』後半と同一のピーマンを模した ヅラをかぶり全4曲の最後の曲として「マンピーのG★SPOT」を披露。最後のサビにおいて生放送にもかかわらず「マンピーの・・・」の部分で「 マンコの・・・」と叫んでしまった。一応大きな問題にはならなかったが、結局これがサザン無期限活動休止前の最後のテレビ出演となっているが、出演前から、この番組が最後の出演と決まっていた。
- 自身のラジオ番組『 桑田佳祐のやさしい夜遊び』( TOKYO FM製作)では、放送禁止用語を交えた替え歌を歌うなど下ネタを連発している。
- 自身のテレビ番組『音楽寅さん』でもしばしば下ネタやセクハラネタ(最悪は放送コードギリギリの行為)をするのがお約束になっている。(実際、2009年2期放送開始当初スポンサーだった 花王は途中でクレジットから外れてしまった。)
これらの言動は、アミューズ後輩・ 福山雅治や 岡野昭仁( ポルノグラフィティ)にも影響を与えている。なお福山と同じく、大のアダルトビデオ好きであり、 夏目ナナや 及川奈央の大ファンだと、自身のラジオで公言している。2003年の桑田の誕生日で、福山から及川奈央の2枚組DVDをプレゼントで貰ったことも、ラジオで発言している。
事務所のアミューズ内でのサザンや桑田関係のスタッフは「全裸になることが多い」と桑田がラジオでコメントしている。