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新谷のり子の動画
新谷のり子
Musician 幼い頃から歌が好きで、 NHKの『朝の童謡』の オーディションに合格、 NHK児童合唱団にも属していた。歌手になろうと高校中退して北海道より上京、 銀座の クラブで歌うようになる。 1968年から音楽クラブ「しんくら」に移った。 1969年より 三里塚闘争に参加、ここで出会った 戸村一作を恩師とあおぐようになった。その直後に 郷伍郎から自作の『 フランシーヌの場合』を渡され、同曲でメジャーデビューすることとなった。 『フランシーヌの場合』は、当時30歳の フランス人女性・フランシーヌ・ルコント (Francine Lecomte) が 1969年 3月30日に パリで起こした政治的抗議のための焼身 自殺を題材に作詞・作曲。( 樺美智子が死亡した 1960年 6月15日に因む)6月15日反安保の日に発売され、約80万枚を売る大ヒットを記録した。新谷は闘争に参加しながら芸能活動を続けたが、「 青春の墓標」( 革マル派の恋人をもったことに悩み自殺した 中核派の 横浜市立大学文理学部の学生、 奥浩平の遺稿集)から タイトルをとった2枚目のシングル『 さよならの総括』は 内ゲバによってついた「 総括」という単語への嫌悪感からかあまり売れず、次第に マスメディアからは消えて行った。 その後闘争を離れ いずみたくの事務所に所属しながら 労音で歌うようになったが、歌うことの意味を見失い、また銀座のクラブ歌手に戻った。 その後 演劇経験、戸村一作の死などをきっかけに徐々に政治意識をとりもどし、現在の演奏スタイルを確立させた。 1970年代半ばからは 山谷で、 1980年代からは 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、 大韓民国、 パレスチナでも演奏したが、韓国では北朝鮮への入国履歴が問題にされ、なかなかビザが下りなかったという。 部落問題や シモーヌ・ヴェイユへの共感も表明している。 2009年 10月1日、『 名曲ベストヒット歌謡曲』( テレビ東京)で『フランシーヌの場合』を披露。 |