大久保博元

目次

来歴・人物


茨城県立水戸商業高等学校から 1985年 ドラフト1位で西武ライオンズに入団。入団当時から長打力には定評があり、 1986年の1年間は米国野球留学のために渡米し、帰国した 1987年には ジュニアオールスターでMVPを獲得する。しかし、当時は正捕手に 伊東勤が定着しており、守備に難があることに加えて肥満体型で起用されることが少なく、ほとんどが 代打要員としての出場だった。

しかし、 1993年5月下旬に左腕を骨折すると、9月まで戦線を離脱した。10月になってようやく復帰し、復帰初戦では4番に抜擢されたが、 1994年から 村田真一が正捕手の座を取り戻し、さらにリードとキャッチングの不十分さが原因で投手陣からの不信感が増したため徐々に出番が減り、ひざの故障や当時のバッテリーコーチである 山倉和博との確執などもあって 1995年のシーズンを最後に28歳の若さでユニフォームを脱いだ。

引退後は、フジテレビ、ニッポン放送の解説者となり、その傍ら「デーブ大久保」名でのタレント業、 プロゴルファーとしても活動。 2008年より、 渡辺久信監督の強い要望により埼玉西武ライオンズ一軍打撃コーチに就任、背番号は96。実に16年ぶりに古巣のユニホームを着ることとなった。なおコーチ就任後の彼のユニフォームのバックネームは「 D.OHKUBO」となっている。チームの4年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献した。

2009年度も引き続き打撃コーチを務める予定であったが、 11月12日、知人女性が大久保から暴行を受けたとして警視庁品川署に 被害届を提出していることが発覚( 中日スポーツが「独占スクープ」と題して最初に報道しているが、日本シリーズ終了を待っての報道だった可能性が高い)。大久保本人は「刑事罰を受けるようなことは、自分の中ではしていない。殴ってはいない」と否定したが、 11月14日に傷害の疑いで書類送検されるに至った。この件について球団から厳重注意処分を受け、優勝パレードなどの球団行事への参加を自粛している。

しかしその後も週刊誌などで隠し子騒動 『週刊新潮』誌は被害者の知人女性を「隠し子を産んだ不倫相手だった」と報じるなどした。や登板日漏洩疑惑といったプライベートな問題を相次いで報じられ、 12月9日、コーチ職の解任が決定され、編成部プロ担当に配属されたことが正式に発表された。知人女性への暴行事件は、 2009年東京区検が 3月13日までに傷害罪で略式起訴、東京簡裁は同27日検察側の請求通り罰金20万円の略式命令を出した。会見では暴行を否定していたが、検察側の調べでは容疑を認めたため略式起訴となったとみられる。

2010年より再び西武の打撃コーチ(2軍)を務める。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』