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逸話母方の高祖父は、政治家の 岩倉具視である。 中学時代にカヌーを造って以来、大小10隻以上の船も設計しており、 光進丸という自ら設計した全長30メートルを超える船を所有している。自ら『光進丸』という曲も作るほど、愛着が伺える。現在の船は3代目で、建造費用は5億円と言われている。加山は、小型船舶免許や5級海技士免許を所持しており、「海の若大将」では、初代光進丸が劇中に登場する。 慶應義塾大学在学中に、スキーで 国民体育大会に出場したことがある。また、 スキューバダイビングなどの マリンスポーツも楽しむ。 東宝入社後の数年間は茅ヶ崎より有楽町まで電車通勤し、毎日特大の弁当箱を持参していたことから周囲より「ドカ弁(ドカベン)」と呼ばれていた。 運動神経万能だが、野球は不得意とし、そのため『若大将シリーズ』でも野球をする映画はなかったという。 映画『 エレキの若大将』劇中で、『君といつまでも』を歌うシーンについて、あまりに現実離れしたあり得ない展開であることを加山が指摘したが、「映画なんだからいいんだ」とスタッフに押し切られ、結局は加山が折れることで撮影が続行されたが、この経緯から、加山は歌詞の内容とミスマッチな仏頂面で歌っている。 2007年 9月2日放送の『 新堂本兄弟』に出演した際、この件について「いまだに納得していない」と語った。 かつて付き人を務めていたのは『 太陽戦隊サンバルカン』の初代バルイーグル/大鷲龍介役で知られる歌手の 川崎龍介。 1966年6月、 ビートルズが来日した際に 東京ヒルトンに宿泊していた4人を訪ねて会食した、数少ない人物である。 1970年のパシフィックパークホテル倒産時には、23億もの借金を抱え、1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯を食べたという苦労も味わったが、10年がかりで返済した。 1974年1月5日に、北海道の大和ルスツスキー場で雪上車にはねられて左肩を骨折し、1ヶ月の怪我を負った。 JR茅ヶ崎駅南口から、かつて父:上原謙の私邸(つまり加山雄三の実家)があった場所を経て 国道134号に通ずる 神奈川県道310号茅ヶ崎停車場茅ヶ崎線は、「上原謙通り」と名付けられ、後に「(加山)雄三通り」と改称されている。 北島三郎とは親友である。 英語は、日常会話には全く不自由しないほど達者である。 鉄道マニアでもあり、「 加山雄三ミュージアム」には、自身の 鉄道模型 コレクションが多数ある。 専門誌「鉄道ファン」にインタビュー記事が掲載されたこともある。 UFOに高い関心を示すことがあり、知識も豊富らしい。 絵画(油絵)の腕前は玄人はだしで、画集を出版しているほか、個展も開いている。料理の腕も一流で周囲に手製料理でもてなすこともある。 1980年代には、日本テレビ系料理番組『 ごちそうさま』の常連ゲストとして、多数出演し料理の腕を振るったが、ある出演回で「海の料理を作る」と言ったにも関わらず、「トマトライス」なる海と関連の薄い一品を作り、司会の 高島忠夫に呆れられたことがある。次の出演機会でも「ニンニクライス」なる一品を披露し食材としては海に無関係であったが、「光進丸でよくこれを作るんです」と海との関連性を説明した。 『 8時だョ!全員集合』に出演時、台本上では加山は笑いを取る役ではなかったが(当時所属していた東宝が「笑いを取らせる様な事をさせない」事を条件に出演を了承していたため)、「 馬鹿なことだろうと何だろうと「笑い」を売りにしている番組に出て笑いを取らないのは、歌番組に出て歌を歌わないのと同じ事」とスタッフの反対を押し切り、本番では 加藤茶の下ネタギャグ「ウンコチンチン」を披露した。 テレビ朝日系『 クイズタイムショック』では、全問正解パーフェクトを達成したことがある。 1986年大晦日の『 第37回NHK紅白歌合戦』で白組キャプテンを務めたが、トップバッターを務めた 少年隊の『 仮面舞踏会』を紹介する際、誤って「…少年隊、 仮面ライダー!」と言ってしまった。後に「あれは控室で『何か仮面ライダーみたいな題名だな』と他の出演者が言ったのが頭に残っていたから」と説明している。 1990年代以降は、 バラエティー番組やトーク番組への出演が増えた。その際の有名なエピソードとして、全く親交が無く「たまたま近くにいた」だけで、 ダウンタウンの 浜田雅功に「 おい雄三、コラァ」といじられ、浜田は後に謝りに行ったが、「 なぜ謝る必要があるのか」と返したエピソードがあり、バラエティー番組出演時において「いじられる」事に対しては寛容な方である。いじられパターンは、「 人の話を聞かずに多く喋ってつっこまれる」という、現在の大御所の王道パターンである。前述の浜田とのからみの際に多用した事から定着したが、他の若手芸人などは加山には突っ込みづらい様子を見せる。 1992年頃のフジテレビ系『 ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』にて、"くわやまゆうぞう"として加山の物まねをしていた 南原清隆に「くわやま君とはデビュー以来親友だったんだよ」と茶目っ気たっぷりに返したりしているのだが、あまりに大御所クラスな事もあって、加山を知る一部の芸能人を除き、いじる側もやや遠慮気味である(くわやまと南原のからみの際は、南原は加山本人の出演を事前に知らされておらず、大汗をかいて動揺をするばかりであった)。 さだまさしが、2006年まで毎年8月に行っていた平和を祈念したコンサート「 夏・長崎から」に共鳴し、 1996年から10年間連続でゲスト出演した。2007年に行われた「夏・広島から」にもゲスト出演している。 上記のさだや 桑田圭祐をはじめ、 山下達郎なども加山の影響を受け、敬愛するミュージシャンも多い。 2004年、 ニッポン放送の ラジオ番組『 坂崎幸之助のオールナイトニッポン』に生出演した際には、ご機嫌な様子で坂崎とのセッションで持ち歌の生演奏をした。ギターだけでなくピアノの弾き語りも良い腕を持つ。 東京文化会館のステージに初めて立ったポピュラー歌手(2006年)である。 2007年 7月29日、東京銀座の 山野楽器で、自身が過去 衆議院・ 参議院ともに出馬要請が10回以上あった、と発言した。ただ、「自分には向いてないね」と控えめなコメントできり交わした。 トリビュートアルバム「 60 CANDLES」をリリースした後に、参加した全てのアーティストに対し、 フェンダー・カスタム・ショップに特注した ストラトキャスターを1本ずつ贈呈した。ヘッドの後ろに、それぞれのアーティストの名前を刻んだ 真鍮のプレートを取り付けているのが特徴である。中でも、 THE ALFEEのメンバー3人に1本ずつ贈呈している。そのTHE ALFEEとは、公私に渡って付き合いが深く、後に共作シングルとして「Love Again」(加山雄三with THE ALFEE名義)をリリースしたほか、THE ALFEEのステージにサプライズで登場したり、 高見沢俊彦が ESPにオーダーした、「エンジェルギター」に モズライトのパーツを組み込んだ 「サーフ・エンジェル」をプレゼントする(お礼に高見沢の肖像画を贈ったという)などの交流が続いている。加山本人も、THE ALFEEがカバーした「夜空の星」をステージで「逆カバー」しているが、 「アルフィーのバージョンで歌ってたら、高いキーの声が出るようになったんだよ」と語っている。 |