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人物像と社会的影響当時の社会的影響 嘉永5年( 1852年)、 土佐藩の 絵師 河田小龍( 川田維鶴)により漂流記『 漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)』がまとめられた。 高知では 坂本龍馬も万次郎から聞いた世界観に影響を受けたと言われ、激動の幕末における影の重要人物である。 人柄・嗜好 奢ることなく謙虚で、晩年は貧しい人には積極的に施しをし、役人に咎められても続けていたという。 甘いものや、 うなぎの 蒲焼が好物だったという逸話が残っている。
日本初『 ABCの歌』を日本に初めて紹介した。 日本で初めて ネクタイをしたとも言われる。 初めて 鉄道・ 蒸気船に乗った日本人でもある。 日本人で初めて近代式捕鯨に携わった。 日本人で初めてアメリカの ゴールドラッシュといわれる金の採掘に携わった。 「新アメリカ航海術」を和訳している。
アメリカとの交流日本にいる万次郎の子孫は、アメリカのホイットフィールド船長の子孫と代々交流を続けている。 また出身地の土佐清水市はアメリカでの滞在先となった ニューベッドフォード市、 フェアヘーブン市の両市と姉妹都市盟約を締結し、現在も街ぐるみでの交流が続けられている。
ジョン万次郎と英語ジョン万次郎は、英語を憶えた際に耳で聞こえた発音をそのまま発音しており、現在の英語の発音辞書で教えているものとは大きく異なっている。万次郎が後に記述した英語辞典の発音法の一例を挙げると、「こーる」=「cool 」・「さんれぃ」=「Sunday」・「にゅうよぅ」=「New York 」等。実際に現在の英米人に万次郎の発音通りに話すと、多少早口の英語に聞こえるが、正しい発音に近似しており十分意味が通じる、という実験結果もあり、万次郎の記した英語辞書の発音法を参考に、 日本人にも発音し易い英語として教えている英会話教室もある。 万次郎は少年期に日本で基本的な学識を身に付けることなく米国に渡ったため、通訳としては有能だったが、文章化された英語を日本語に訳することが不得手だったとされる。そのため西洋の体系的知識を日本に移入することが求められた明治以降は能力を発揮する機会に恵まれなかった。 晩年にアメリカ時代の友人が訪ねてきたが、既に英語が話せなくなっていたといわれる。 |